"震災後の心を支えるエクササイズ"
こんにちは、バスクラリネット吹きの八巻志帆です。
あたたかくなってきましたね。最近はお天気もよくて外を歩くのがたのしいです。
大切なふるさと、宮城県仙台市から大阪に来て12回目の春を迎えようとしています。
そして、あの東日本大震災からも、今年で6年が経ちました。
前にTwitterにも書いたこの記事について、改めてブログにも書こうと思います。
父の記事ですが。
— 八巻志帆 Bass Clarinet (@YamakiShiho) November 22, 2016
今日の様な大きな地震が起きると、離れた場所にいた私でさえただただ恐怖してしまう。
周りを伺って言葉を飲み込んでしまう子供達や、悩める教職関係者さんが少しでも減りますように。
→"震災後の心を支えるエクササイズ"https://t.co/vnmBH0rvFJ
よく、"ご実家は大丈夫だったの?"と聞かれたりしましたが、こうして文章にするのは初めてです。
本当に多くの方が、それぞれに苦しい思いをされたと思います。
文章の中でちょっとだけ当時を振り返りますが、私の目線で見えたこと、感じたことです。
あの日、私は当時勤めていた予備校で受付の仕事をしていました。
視界が歪むような長い揺れ。
実家のある宮城県仙台市に住む両親とは何日か連絡が取れず、受験生の弟は新幹線の中で被災しました。
(両親は学校の先生なので、炊き出しなどに追われ、弟は線路を歩いて避難したそうな。)
テレビでは、実家から自転車で行ける海がうねりをあげていて、たくさんのものを、たくさんの生命をのみこんでいっていました。
知っているはずの場所がぜんぜん違う顔をして、当たり前にあり続けると思っていたものたちを壊していくテレビの映像に、その容赦のなさに、
放心しながら震えていたのを覚えています。
その月の下旬には、私の勤める予備校へ、家族と離れて関西でひとり暮らしをしながら勉強する東北や北関東の生徒の入学が急増しました。
一見他の受験生たちと変わらないように見えながらも、それぞれに何かの思いを抱えている彼らにとって、
少しでもあたたかさを感じる場を提供したい、と思いながら過ごしていたように思います。
(そもそも受験生は多かれ少なかれみんな何かを感じ考えながら過ごしているので、被災者に限定したことではないのですが。)
先に挙げたTwitterにも載せたのですが、彼らのような子供たちと、彼らを包み込む周りの大人たち、特に"先生"と呼ばれる人に読んで欲しい記事です。
父の記事です。
初めてきちんと、父のしていることに触れた様な気がします。
私は教師の両親の元に育ちました。
教師は、例えば生徒が問題を起こしたらすぐに現場へ行かないといけない、とか、震度◯以上の地震が起きたら学校に集合して対応しないといけない、とか、
授業以外の見えていない所でたくさんの責任を持ちながら生活しています。
生徒たちの心のケアをするのも教師です。
でも、その教師自身もまた被災者なのですよね。
震災後、病んで辞めざるを得なくなった先生も、たくさんいらっしゃる様です。
それはもう
生徒たちとのことだったり、
自分の家族のことだったり、
ただ抗えない自然に恐怖してのことだったり、
いろいろな要因で。
載せた記事は、たくさんの要因の中のほんの一部にしか触れていませんし、きっかけに過ぎないかもしれませんが、
ひとりで悩む先生や、現状に変化を求める方へ届けばいいなと、そんな思いを込めて。。
今もまだ震災の記憶に苛まれ、たたかっているのは、東日本だけでなく、私の住む街にほど近い神戸の方も、熊本の方も、他のたくさんの街も同じです。
どうか、春の午後のような穏やかな時間を、1人でも多くの方が、大切な人とひと時でも長く過ごせる日が訪れますように。
志帆
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